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第一章 

3話)芽生の家


(・・・ひょっとしなくても、私。とても面倒な事を頼まれていたんじゃない?)
 自分で自分に質問し、『YES』と、即座に自分に返答する。
「まぁ。そばにいるだけでいいって言っていたし・・。」
 二人で並ぶのなら、あの美しい顔を、間近で拝めるのだ。
 無理矢理でもそう思って、ハハハッ。と、短く笑って家路とたどる。
 学校から芽生の家は、4駅ほど電車で揺られた駅で降り、10分くらい歩いた所にある。
 駅前のスーパーに立ち寄って、なくなっていた日用品と、今晩のオカズの材料等、もろもろを手に、家に戻った。
「だだいま〜。」
 誰の返事も返ってこないのが、分かっていても、いつもそう言ってしまう。
 まだ明るいうちから電気をつけて、品物を収納すると、いつものように、脱ぎ散らかしていた部屋着を着た。
 お尻の形がきれいに見えるショートパンツに、紫色のガーターストッキングをはく。適度に肌が露出したピンクのトップス。フリル一杯のエプロンをつけたら、家の用事の発動だ。
 芽生は手慣れた様子で掃除機を手にすると、電源を入れた。
 ブィーンとすごい音をさせて掃除機は、あるかないかの埃を吸い上げてゆくのだった。


・・・・一階、二階すべてに掃除機をかけ終わると、簡単にモップ拭きをし、洗濯物を取り入れる。
 夕方の奥様が見るようなニュースもろもろを、見るでもなく目にしながら・・・なるたけ芽生は、ドラマの再放送は、見ないようにしていた。見れば、結構夢中になって、時間を忘れて全部みてしまうからだ・・洗濯物をたたんで収納。
 整理が付くと、台所に立つ。
 いつも大した時間を取れないので、簡単なのしかできない。
 今日は、炊き込みご飯の素でつくったご飯と、煮魚。青菜の煮物だ。
(翔太は、アッサリ系の食事はイマイチなんだけどなあ〜)
 毎日肉では、いくらなんでも芽生の体がおデブちゃんになってしまう。今晩のメニューは健康志向だ。
(不満げな顔が浮かぶわぁ。)
 心の中でつぶやきながらも、芽生の表情は穏やかだ。
 冷蔵庫に、ボンレスハムのでかいのが残っていたのを思い出して、今晩は、それも足そうと思い立った。
 サクサクと、切ってフライパンで焼くと出来上がり。
 豆腐の味噌汁の味見をしている時に、ドアがカチリと開いて家の中に入ってくる音がする。
 芽生は一目散に玄関に向かって行った。
 玄関には、紺色のブレザーとスラックス。ネクタイを着用し、スポーツバックを手にした少年が靴を脱いでいた。
「おかえりぃ〜。」
 元気一杯の、歓迎モードたっぷりの芽生の様子に、彼は、いつもの少しゲンナリした様子で
「ただいま。」
 と、小さな声で返してくる。
 彼・・・北川翔太は、芽生と同い年の高校一年生。
 彼とは従兄妹の間柄にあった。芽生の母と、翔太の母が姉妹だったのだ。
 翔太が幼稚園児の時に、両親が交通事故で亡くしてから、ずっとこの家で暮らしていた。
 ここに来た時は、芽生よりもっと背丈も小さくて、“両親の死”も理解できない様子だった。
 その点は芽生も一緒だったが、優しかった叔母と叔父とは会えなくなってしまった事ぐらいは、何となくだがわかった。
 無常にも翔太が住む家さえなくして、彼がここに来る事になったのを、単純に楽しみに思ったのだ。
 当時の事を思い出すたびに、ゾッとするくらいに無邪気なエピソードとなって、芽生の中の記憶として残っている。
 小規模ながらも、一戸建ての家を構える松浦の家に、やってきた時の翔太の様子は、いつもの元気の欠片さえなかった。
 まるで浮草のように頼りなく、すぐにもこの場から消えてしまいそうなくらいに儚げで、絶えず落ち着かげに泳いだ瞳は恐怖を表わしていた。
 そこで初めて庇護者がいなくなる恐ろしさを、彼を通して実感できたのだ。
(私のパパとママがいなくなっちゃったら・・。)
 自分だって、普通じゃいられなくなってしまうだろう。
 松浦家に来た翔太は、すっかり変わってしまっていた。
 両親が健在な時に、たまに遊びにきた時などは、意地悪なくらいにやんちゃだったのだ。そんな様子が影をひそめ、わがままの一つも言わなくなった。
 委縮してご飯さえ満足に食べない翔太を、芽生の両親も芽生自身も本当に心配した。
 家族総出で、翔太の心の傷を悼み、包み込み、この家を我が家と思ってくれるように、心を砕いた。
 かつての元気な笑顔を見せるようになってくれるまでに、1年半ほどかかっただろうか。
 いつの間にか食欲も芽生をしのぐほどになって、背丈も羨ましいくらいに伸びた。今やラグビーで名を馳せて、特待生扱いで名門“香徳大付属高校”に進学するまでになった。
 15歳にして180センチを超える長身。立派な体格に育ってくれた・・・。
 香徳大付属高の制服は、地元の学生にとっても憧れの制服だ。
 芽生を横切り廊下を歩く翔太の後ろ姿を、誇らしい気持ちでしげしげ眺めながら、
「今日のおかずはお魚なの・・。ガッカリなおかずよ〜。」
 なんて、彼の奥さん気取りな言い方で後を追って話す。
「・・・別になんでもいいよ。」
 一階にある脱衣所に汚れた服を放りこむ。部活で汗をかいたせいで、シャツからパンツから素早く着替えて部屋着に着替える。
 あっという間に背丈が伸びて、服から不自然に手足が出ても、彼は着心地がいいからと、新しい服に絶対腕を通さない。
 手を洗い、口をゆすいで、チンチクリンな姿で脱衣所から姿を表わして
「で、ご飯。すぐに食べれるの?」
 と、聞いてくるので、芽生はニッコリほほ笑み
「もちろん。食べれるよ。」
 と答えると、初めて翔太は晴れやかな笑顔を見せた。
 この笑顔を、毎晩みたいがために、毎日の食事作りを頑張っているようなものだった。
「腹減ったぁー。」
 言ってドタバタと食堂に向かう彼の後を目で追いながら、芽生も向かうのだった。